大判例

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東京高等裁判所 昭和34年(ネ)2449号 判決

被控訴人は大正八年二月五日生で、旧制高等小学校卒業後、戦時中挺身隊員として工場に勤務し、終戦後も千葉市方面の工場で働いていたが病気となり、昭和二十五年からは、千葉県茂原市で雑貨商を営む父母の許にあつて、父母とは別棟の家屋に居住していること、控訴人は同年五、六月頃、当時病後静養中であつた被控訴人と知り合い、二、三回見舞に行つたことがあつたが、その後交際の機会もなく数年を経過したこと、ところが昭和三十年二月九日、控訴人は茂原市内で偶然に被控訴人と再会し、同夜被控訴人方を訪れて語り合い、同夜は被控訴人方に泊り遂に肉体関係を結ぶに至つたこと、翌朝控訴人は被控訴人に対し、「お前と一緒になるから、一度自分の親にも会つてくれ」と申し述べ、正午頃辞去したが、同夜も被控訴人方に来て泊つたこと、被控訴人は控訴人の言を信じ、控訴人と結婚できることを期待していたこと、被控訴人は、同月十四日控訴人方を訪ね、控訴人の母にも面会し、同女に対しては唯、普通の挨拶と世間話をした程度で帰つて来たが、控訴人は、同夜も被控訴人方に来て泊り、その後同年八月十四日まで、殆んど被控訴人方に泊るのを普通とし、その間、控訴人は食糧として米二、三升宛を三回程度持参しただけで、その外には、被控訴人に金銭等を交付したこともなかつたが、被控訴人は、よく控訴人の世話をしたこと、被控訴人は、同年三月中懐妊したが、同年八月頃に至り控訴人から堕胎を要求されたのに肯かなかつたところ、同月中旬、控訴人は「外に女が出来たからお前と一緒になれない」旨言い残し、荷物を持つて生家に帰つて了つたこと、被控訴人は、同月下旬頃、控訴人の剣道師範である訴外片岡小三郎に事情を訴え、同訴外人は両者の間をあつせんしていたが、同年九月二十二日、右片岡と被控訴人の弟今関了が控訴人方を訪れ交渉した際、控訴人は、「自分の家は農家だから百姓の出来ない女を嫁に貰えない。被控訴人はパンパンであつて、子供は誰の子か判らない」旨申し述べ、了と激論の末、物別れになつたが、翌二十三日、控訴人は被控訴人方を訪れ、結局、「子供は自分の子であることを認知す。二十二日の暴言を全面的に取消す」との書面(甲第二号証)を作成し了に交付したこと、しかるにその後も控訴人は飲酒の上被控訴人方に来り、子供をおろさないと家に火をつけるなどと騒ぎ、鍋釜を投げつける等の乱暴を働いたことがあり、控訴人の兄も被控訴人を訪ねて堕胎をすゝめたが、被控訴人は応ぜず、同年十二月二十七日男子(文雄)を分娩したこと、なお控訴人は、同年十二月十九日以前には、「他の女と手が切れたら、被控訴人と一緒になつてもよい」などと述べたこともあつたが、同月十九日被控訴人方に赴き、「自分の方で子供を否認しようと思えば否認できるから、お前の方で文句があれば争つたらよいだろう」と言い残して立ち去つたこと、以上の事実を認めることができる。(なお、前記甲第一、第二号証および同第四、第五号証の各一、二と真正に成立したと認める甲第三号証を綜合すれば、被控訴人の分娩した右の子は、事実上、控訴人の子であることが認められる)しかして被控訴人が、昭和三十一年二月十四日控訴人を相手として千葉家庭裁判所一宮支部に婚姻予約履行請求の調停を申し立てたところ、控訴人が請求に応じなかつたため、同年五月十六日調停は不成立に終つたこと、被控訴人が昭和三十二年五月中、文雄の親権者として、控訴人を相手どり千葉地方裁判所一宮支部へ認知請求の訴を提起し、昭和三十三年十一月二十一日勝訴の判決を受けたが、控訴人はこの判決に対し控訴を申し立て、右訴訟が目下当庁に係属中であることは、控訴人の明らかに争わないところであるから、これは自白したものとみなすべきである。

しかして以上説示の事実によれば、控訴人は昭和三十年二月中、被控訴人と婚姻の予約をなし、その後遅くとも同年十二月中には正当の事由なくこれを破棄したものと認めるのが相当であり、被控訴人は、これにより精神上多大の苦痛を蒙つたことは明白であるから、控訴人に対し慰藉料を請求し得るのは、当然というべきである。ところで控訴人は、前記認知請求訴訟の結果が判明しない以上、被控訴人が慰藉料の請求をするのは不当であると主張するが、しかし婚姻予約の不履行に基く慰藉料の請求は、子供の扶養料請求の如き場合とは異なり、被控訴人の分娩した子と控訴人との間に、現に法律上の親子関係が発生していることを必要とするいわれはないから、控訴人の右主張は採ることを得ない。(なお認知の判決の確定前においても、慰藉料の額の算定に当つては、被控訴人の子が控訴人の事実上の子であることを参酌し得べきことは、もちろんである)

次に慰藉料の額につき按ずるに、(イ)すでに説示した本件婚姻予約の成立およびその破棄に至るまでの前掲諸事実、(ロ)前掲甲第四、第五号証の各一によれば、被控訴人は昭和二十六年から昭和二十七年にかけ約一年間、訴外林某と共同してパチンコ屋を経営したが失敗し、また昭和二十七年頃から昭和二十九年七月頃まで自宅で学生に間貸をしたことがあつたが、その後は職業もなく、専ら父母(その年令は昭和三十三年において父は七十四才、母は七十二才)の物質的援助で生活している事実、被控訴人は、さきに被控訴人方に間借していた東京農業大学茂原分校の学生吉田某と関係を生じ、昭和二十八年十二月頃吉田の子を懐胎したが、昭和二十九年頃堕胎手術を受け、同年中頃には吉田との関係を絶つに至つた事実が認められ、その他には被控訴人が男と関係のあつた事実を認めるに足る証拠は存しないこと、(ハ)控訴人が明治大学専門部政経科を卒業し、剣道六段の資格を有し、東京農業大学茂原分校その他の学校で剣道の師範をしており、その生家は中流以上の自作農であることは、控訴人の明らかに争わないところであること、以上(イ)(ロ)(ハ)の事実を綜合し、当裁判所は、本件慰藉料の額は金二十万円を相当であると認める。

(岡咲 田中 土井)

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